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[No.156]含羞 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/18(Thu)-20:06
今週末はリンドバーグデー。

「翼よあれがパリの灯だ」・・・なーんてことは全然言っていない
チャールズ・リンドバーグが無着陸単独大西洋横断飛行に成功した日です。
ちなみに、ホントの第一声は
「このやろ、押すんじゃない飛行機がぶっ壊れるだろうがこん畜生。
 えぇいっ、誰か英語のしゃべれるやつはいないのかぁ!」です(笑)
飛行の目的も冒険だけではなく、
最初に無着陸で飛んだ者に贈られる2万5千ドルの賞金でした。

さてさて、「空飛ぶ燃料タンク」での偉業についてなにも書き連ねる
つもりでスタートしたワケではなく、書きたいのはその後のリンドバーグの偉業です。

1936−46年。リンドバーグは軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についていました。
この間の日記は我が国でも昭和49年に新潮社から出版され、
再販されること無く絶版となりました。
数年前に臣民系隠れプロ市民の方々が米帝批判のためのネタとして
引っ張り出してきて、乗せられやすい臣民の方々をいい気分にさせていたので
ご記憶の方もおられるでしょう。
と、言うことでその抜粋です。

 「太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは、
  捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないからだ。
  手を上げて投降してきてもそのほとんどは皆殺しにされている」

 「○○島で2000人ほどが投降してきたとの連絡があったが、捕虜として
  本部に引きたてられたのはたった100人か200人だった。
  残りの連中は自決したとある」

 「ちょっとした事件があり、将校連は尋問の為の捕虜を欲しがった。そこで、
  捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れを出したのだか、
  出た途端に持て余すほどの捕虜が本部に送られた。目的を果たして
  懸賞を取り消すと1人も来なくなった」

 「捕虜は、英語が判るかどうかを確認し、判る者は尋問のため連行され、
  出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺されたのである」

 「捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、
  ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告した連中が居る」

 「日本軍の野戦病院をある部隊が通過した、生存者は一人もいないという報告だった」

 「爆弾で出来た穴の中に四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込み、
  その後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込むのを見た」

 「捕虜にしたがらない理由はお土産を取る目的である。
  金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、
  耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、
  中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる」

 「兵は、日本人を動物以下に取扱いそれが大目に見られている。
  我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、
  太平洋戦線を見れば見るほど、
  文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。
  事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てない」

もちろん、同じようなことを日本兵は南方進出のときに行っています。
なんたって当時の認識は「南方には人喰い土人が住んでいる」でしたから。
いや、それどころか同じ国民として戦っていた琉球の方々に対して行った
行為も米兵達と変わりません。
結局、ヒトの行うことなんてのはみんな同じ。
誰かの頭を靴で踏みにじることを正当化する唯一の方法は、
自分は本質的に偉大であり、相手は本質的に劣っていると思うことです。

ヒトは、ヒトを食べてでも生き延びるケモノです。
どんなきれい事も、肉体的・精神的な飢えにゃあ勝てません。
現在我が国で肉体的な飢えに苦しむ方はそんなに見かけないだろうけど、
情報に対する精神的な飢えを掲げ、飢えを満たすものを求めて
電脳界を彷徨っている方々は沢山おられます。
廃盤CDや廃盤ビデオのコピーをねだるなんてのはその最たる例です。
いや、飢えているという事実は否定しません。
「手に入らないんだから仕方がないでしょう」とでもおっしゃりたいのでしょう。
では、食べ物がなにも手に入らなかったらヒトを食べますか?

大切なのは飢えを否定することよりもそれを認識して羞じる事です。
「飢え」を口にするなんてことは恥かしいと思いませんか?
飢えをうめる事ができないのならじっと飢えと向き合っていればいいんです。
飢えを満たすために徒党を組むのは恥ずべき事、奢る事は忌むべきこと。
それは侵略・略奪行為となんら変わらないことなのです。

さて、あなたは、どうやって飢えを満たしていますか?

[No.155]Q&A 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/15(Mon)-20:08
・名前、出産地。
   ちすもん、英数入力モードだとARMY。神戸産・牡。宝塚で育成の後帝都に出荷。
・血液型は?。
   ごめんなさいB型なんです。イジメないで下さい<(オドオド)
・スリーサイズ。
   頭56cm、首39cm、足24cm
・信条は?。
   オレと論争して勝ちたければブリタニカ背負って来い。
・自分を動物に例えると?。
   ヒトでないことだけは確か。
・雑文掲示板を書いていて思うこと。
   物好きが多いなぁ。
・好きな音楽。
   オートハープとブルーグラスとカントリー
   骨のあるフォークソングと雅楽
・よく観るハメになるテレビ番組。
   テストパターン
・よく聴くハメになるラジオ番組。
   平壌放送
・朝起きて。まず行うこと。
   今日も命があったことを神に感謝し、今日も仕事があることを神に毒づきます。
・時間があったらやりたいこと。
   朝寝、朝酒、オートハープ。ふところ手をして宇宙見物
・無人島に何か1つ持っていくとしたら。
   もちろんオートハープ
・もうひとつ持っていけるとしたら。
   酒
・んじゃもうひとつ。
   猫
・えっと・・もうひとつ。
   猫のごはん
・えぇい、家族はどうしたっ!
   56億7000万番目に降臨してくる事になっている。
・好きな飲み物。
   酒 と酒と酒
・好きな食べ物。
   シュークリームとプリン
・悪酔いしますよ。
   大きなお世話だ
・好きな花。
   天南星
・好きなブランド。
   練馬農協
・好きなファッション。
   浅黄色の羽織に黒拵えの袴
・嫌いなファッション。
   野球のユニフォーム
・お肌のお手入れ。
   自家製石鹸とシッカロールとベルツ水
・世の中をどう思う?。
   この世界に猫という生き物がいること。それだけで存在価値がある。
・猫は好きですか?
   常に憧れ、嫉妬心に狂っております。
・最近注目していることは?。
   魚を食べると頭がよくなるのか。
・今まで生きてきた中で最大の喜びは?。
   今日まで殺されずに生きてこれたこと。
・今まで生きてきた中で最大の悲しみは?。
   自分にも劣る連中が今日まで殺されずにいること。
・今、欲しいモノは?。
   人斬り包丁。
・最近読んで感動した本。
   般若心経
・いままで食べたもので一番美味しかったものは?。
   そりゃあもちろん人の・・・あわわ
・下着は何色が多い?。
   ジャングル迷彩
・カバンの中身は?。
   傘・カメラ・消毒薬・ニボシ・包帯・マタタビ・あとはつまらない仕事の書類。
・神は存在すると思うか?
   わたしを呼んだかね。
・大きくなったら何になりたかった?。
   大きくなれると思っていなかった
・最近ムカついたことは?。
   完成寸前の模型飛行機の主翼に猫がゲロったこと
・最近うれしかったことは?。
   その模型飛行機で猫を追い回したこと
・殺してやりたいと思った人はいますか?
   死んだと聞いたら祝宴を開きたい人なら多々います。

・こんなQ&Aを公開したら嫌われると思いませんか?
   シクシクシクシク

[No.154]87人で旅にはでたが 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/13(Sat)-17:32
新天地、アメリカ大陸に「騙されて」やってきた多くの移民団。
大西洋を越え東海岸から新大陸に上陸した開拓者たちは、それで旅の終わりって
わけにゃあいきませんでした。東海岸から天候に恵まれた西海岸に
入植するためにはどーんと何千マイルもの旅をしなければならないのです。
当然、旅路にはインディアンの襲撃。
無法者たちの略奪と数々の困難がありますが
最大の難関はそびえ立つネバダの山々です・・・
なんたって、山を越せるのは雪の溶けている夏だけ。

だもんで夏を前になると
開拓者を満載した馬車が列をなすことになります。
ジョージ・ドナー率いる総勢87名のドナー隊も
アイルランドから到着した翌年の1846年8月。
「約束の地」カリフォルニア目指してイリノイを旅立ちました。
普段ならそれでよかったでしょう。問題はこの時期冬が早かったのです。
そう、1841年にはじまった小氷河期は、
アイルランドのジャガイモを全滅させただけではなく、
地球レベルで冬を長くしていたのです。
彼らは「新天地でも冬が長い」って事に気づくべきだったのですネ。
その上、彼らの馬車を牽くのは馬ではなく牛でした。よーするに「牛車」
牧畜を目指していた移民達でした。
ノロノロとした砂漠の旅は困難を極め、まず、旅の過程で5人が命を落としました。
ようやくネバダの山々が見え始めたのは10月下旬。
この時期の山越えは自殺行為です。
しかし、進退極まったドナー隊は山越えを選びます。
この山さえ越えれば、そこはもう「約束の地」なのですから・・・。

10月。標高2000メートルのトラッキー湖畔でドナー隊は遭難します。
吹雪が凄まじく吹き荒れ、馬車は雪に埋まり、
これ以上先に進むことは出来なくなったのです。
ドナー隊はここで冬を越す事にしました。住居の心配はありません。
丸太小屋の材料はまわりにいくらでもあります。問題は食料だけ・・・。
12月、救援を求め選抜隊が山越えに挑みました。
しかし2日目には前に進めずキャンプに引き返してきました。
そして、クリスマスの夜・・・
「もう食べるものは何もない。彼以外には」そう言って
ドナーは病に斃れ昏睡状態の仲間を指さしました・・・。
年末までに5名が死に、そして調理されました。

年が明けて1847年の年明け。亡くなった仲間は食べ尽くされてしまい、
移民団は食べるものに困ってしまいました。
彼らはとうとう許されない領域に踏み込みます。
まず、荷物運びのために雇ったインディアンを手にかけ。そして・・・
2月。
やっと救助隊がトラッキー湖畔に到着します。
生き残っていたのは56名・・・。31名が犠牲になっていました。

しかし、冬はまだ終わっていませんでした。
救助隊は自力で山越えができる者24名だけだけつれて
半死半生でサクラメントに辿り着くことしかできませんでした。
その上、救助隊は残された32名に食料を残していくことも出来なかったのです。
3月。
やっと寒さがおさまった山を越えて、第2次救助隊が到達しました。
救助隊がまず見たものは雪原に置かれた骨の山でした。
出迎えた開拓者の数は24名・・・
ところが山を降りようとした避難民を季節はずれの吹雪が襲います。
救助隊は元気な14名だけを連れ出すのがやっとでした。
5月。最後の救助隊が残った10人の救出の為に湖畔を訪れました。
生存者は1人。スープを作って救助隊を出迎えました。

ほんの160年前のお話です。

 ♪87人で旅にはでたが 帰ってきたのはただ1人♪

[No.153]牛と1ペンス 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/12(Fri)-21:09
公衆衛生誌を読んでいたら天然痘ネタの論文がありました。

天然痘の予防接種、種痘が廃止されてから30年。
ノースリーブからのぞく腕にポッチの見られない方々が増えてきた今、
武器として保持されている天然痘に対していかに準備をすべきかということが
熱く語られています。
「細菌兵器はビンボ人の核」とはよくいったもので、現在天然痘ウィルスが
我が国にばら撒かれたひにゃあ、若年層の七割が死亡するという試算が
されています。

種痘といいますと思い浮かぶ名前は、
エドワード・ジェンナー(Edward Jenner)
歴史の教科書なんかで必ず出てくる名前ですネ。
「自分の子で実験して、天然痘の予防法である種痘を開発。
 貧しい人々に無料で種痘を行い、天然痘禍から英国を救う」
なーんてやつ。美談として語られております。
「美談にゃ必ずウソがある」はい、これは世の中の普遍の原理でございます。
「いい人」なんて言われているヤツは夜叉羅刹。人にも劣る生き物だとおもって
まず間違いはありません。(笑)

エドワード・ジェンナーは英国の片田舎のバークリーの生まれで牧師の3男。
5歳の時に両親が梅毒で亡くなったので<(をーいっ、牧師だろう(笑))
兄を頼って育ててもらい、15歳の時に床屋に奉公に出て外科医になりました。
はい、当時外科医ってのは床屋の副業だったんですネ。
1770年、21歳のときに地主の未亡人に取り入ってパトロンにしたジェンナーは
援助を受けてロンドンに出て、「コレラは風土病」と説いた名医(笑)のハンターに師事、
3年後郷里で床屋を開業します。

18世紀の欧州において天然痘は最も恐ろしい病気でした。
18世紀の100年間に6000万人が天然痘で亡くなっています。
世界人口が数億人の時代ですからとんでもない数ですね。
天然痘は、高熱に続いて全身に化膿性の発疹ができるため、
運良く治った人もとってもみっともないあばた面になりました。
自称米国初代大統領(爆)の、ジョージ・ワシントンも、サクラの木をぶった切った
タタリを受けて天然痘に罹病しました。
命根性があったために一命はとりとめましたが
めいっぱい顔には発疹痕が残っていたそうです。
ついでに、このときの高熱の影響によりジョージ・ワシントンには癲癇系の
発作の持病があり、プッツン切れるとオノを振り回して暴れたそうです。
三つ子の魂百まで・・・

ロンドンから帰ったジェンナーはバークリーの田舎よりも、
都会の方があばた持った人が多い。
つまり天然痘を発症した人が多いことを不思議に思っていました。
それと、天然痘は乳搾りや羊飼いにはあまり発症が無い事も知られていました。
これはこれらの職種の人が「牛痘」=羊蹄目水泡腫にかかったことがある人が多いって
事から種痘の開発に至ったってーのは有名なお話です。
さて、ここからがちょっと違っております。

1796年5月14日
甥の家の使用人のサラ・ネルムズが牛痘にかかったと聞いたジェンナーは
早速彼女の手の水疱からとった膿を、
かねてから実験の為にと孤児院から買ってきていた
当時8才のジェームズ・フィップスという少年の腕に接種しました。
少年は1週間後に微熱が出ましたが、すぐに下がりました。
ここからがいよいよ実験です。
約6週間後の7月1日。ジェンナーは天然痘患者の水疱からとった膿を
ジェームズ少年の腕に接種します。
ここでジェンナー先生の名誉の為に書きますが、
当時の英国、いや欧州では身寄りのない子供を買ってきてこのような事に
使うことについては何の疑問もありませんでした。
当のジェームズ少年もそうであったと思います。
「神様、孤独なボクを8歳まで生きさせて頂いてありがとうございます」てなものです。
さばいてスープの具にされないだけ死体が残るので幸せってやつですね。
ま、死体になっちゃえばどうせ食われるんですが(笑)
当時身寄りの無い子供の運命なんてのはこの程度のものだったんです。
ちなみに、「子供を殺すと犯罪」って事が公になったのは
19世紀に入ってからの事です。

さて、ジェームズ少年。幸運な事に健康なままでした。
ジェンナーは、もう一度実験をしたいと考え、牛痘の患者が出るのを待ちました。
2年後に11ヶ月から7歳までの8人の子供達を買い求め、
ついでにこんどは自分の息子のロバートも加えて実験し、概ね成功しました。
この「概ね成功」といいますのは、なぜか息子のロバートが「牛痘に感染しなかった」
という理由で天然痘の接種実験を行わなかったためです。
怪しいですねー。うさんくさいですねー。

実験に成功したジェンナーは大喜び。
これで一儲けできると、牛痘接種による天然痘の予防法に関しての報告と
その使用に対する権利の承認を求めて、論文を王立協会に送りました。
しかし、当時の感覚では人の病気と家畜の病気が関係しているという内容は
教会の教えに反します。
それとジェンナーは人の医者です。権利を認めてしまうと獣医との間に
問題が生じてうって駆け引きもありました。
で、「この論文はあなたの名誉を傷つけることになりまっせー」
なーんて、もったいぶった理由をつけて却下されました。

しかし、彼はあきらめません。
牛痘の膿の入った小瓶を手に、貧民窟に出向き、
1人1ペンスの協力費を払って種痘をしまくること1日に300人。
切れてますにゃ・・・(笑)
でまぁ、数の論理で認めさせてしまったわけです。
ちなみに、種痘による天然痘予防法が認められた後は、種痘1回につき
1ポンドの手数料を取り、しっかりと損は埋め合わしたそうです。(爆)

ところでジェームズ少年ですが、
その後ジェンナーの記述に出てくることはありません。
また、使用人として成人したというようなこともないようです。
 <(当時、使用人は登録されていましたから)
結局は食べられちゃったようですね。

1796年は、寛政8年。
江戸幕府将軍は徳川家斉。
我が国では自給自足体制が確立し、文化の華が咲き誇っている頃の
大英帝国のお話でした。

[No.152]ゴミの日 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/05/02(Tue)-23:30
5月3日は「ゴミの日」です。
いや、ホントなんですよ(笑)
ゴロがいいからってよくもまぁ・・・って思っていたら
プロ市民の方々から横やりが入ったとみて、その後、
5月30日を「ゴミゼロの日」などと必至にごまかしています。
とはいえ、例年5月3日には
「ゴミの日」にふさわしいお祭りが繰り広げられています。

さて、日本国憲法施行記念日
最近は生活に張り合いを無くしている中高年のためのリクレーションとして
行政も憲法改正論や軍事強化論などを提供してサービスに努めています。
また、それに呼応してプロ市民の皆様も
 「護憲と民主主義を達成する全国高齢者クラブ連絡会議」(護達者クラブ)
とか
 「アジアに平和を!法治国家市民文化団体連合」(ア法連)
なとどいう団体を組織し、
体力維持のために蓮根を手に輪になって踊る「蓮根踊り」なるものも
創案して、中高年に生きがいを提供しようとされています。

と、言う事で話題の蓮根踊りのご紹介をいたします。

(口上)
 ここにぃーっ 集結ぅされたぁるっー すべてのぉー すべてのぉー
 労働者ぁー プロレタリア市民ー 諸君っ!
    (ぅ押忍っ)←呼応
 空白のぉー 90年代ぉー 経た今ぁー 我々はぁー 闘争のぉー
 時代をー むかえようとしているぅーっ!
    (異議なーしーっ)
 今ゃぁー 亜細亜のぉー 平和はぁー 米帝のぉー 傲慢たるぅー
 政策にぃー よりぃー 危機のぉー 時代とぉー なっている!
    (粛清せよーっ)
 しかるにぃー 時の宰相はぁー 米帝にぃー 迎合しぃー
 あまつさえー 我らのぉー 平和憲法のぉー 改悪ぉー 目論んでいるのだ!
    (ナンセンスーっ)
 諸君っ! 今こそぉー 我々はぁーっ 闘争にぃー 立ち上がるぅー
 時であるー
    (団結ぅーっ)
 米帝とのぉー 反平和軍事同盟にぃー つながるぅー 憲法のぉー
 改悪おーっ 断固としてぇー  阻止するのだぁ!
    (闘争ぉーっ)
 反戦のぉー 名のもとにぃー 武装闘争ぉー 繰り広げょー
 平和のぉー 為にはぁー 戦争もぉー 止むおえないーっ!
    (異議なーしっ)

 いざ歌わんかな 踊らんかな 狂わんかな
 反戦名物ー 蓮根の舞いっ! アィン ツバイ トライっ!!

(歌)
  ♪今立ち上がれー 亜細亜の危機 平和を守る戦いにっ
    (アホっれっ)←掛け声
   反戦の名の下にぃ 戦いの火は燃えさかるーっ
    (アホっよっ)
   我等の堅き団結はーっ 蓮根の如くつらなりぬー
    (アホっねっ)
   今宵 帝都の空に向けー 清くぅー 歌えやっ 反戦歌ぁー♪
    (アホっすっ)

(口上)
 「シュプレッヒ コールーっ!!」

  立法粉砕 闘争勝利っ! 立法粉砕 闘争勝利っ!
  9条っ 護れっ 9条っ 護れっ 9条っ 護れっ 9条っ 護れっ
    (蓮根を手に舞い踊る)

 ・・・・・・

*本雑文はフィクションであり、実在の行事・団体とは一切関係ありません。
 何かの間違いで似ているような部分があったとしても全て気のせいです。

[No.151]哲人の日 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/04/27(Thu)-20:21
本日は哲人の日とされています。
紀元前399年にソクラテスが毒杯をあおって亡くなった日だからだそうですが、
暦が今と全然違うので実際は夏場だったようです。

さて、このソクラテスがあおったという毒杯。
ソクラテスにゃあなんの興味も無いが毒杯には興味ワクワクのちすですので(笑)
調べてみたことがあるのですが、どうも当時ポヒュラーな毒であった
毒ニンジンで逝っちゃったようです。
この毒ニンジン−Conium maculatum、
セリ科の多年草で、とっても毒性が強く、花を咲かせる7月頃、1番毒性が強くなります。
採取できる時期は全草をすり鉢ですりつぶして服用しますが、
それ以外の時期には全草を浸して毒素を抽出した毒酒として召し上がります
 <(いや、召し上がるってレベルでは・・・)

ソクラテスの最後は弟子のプラトンによって書かれた、
「パイドン」を読むとその様子がわかりますが、
ソクラテスの飲んだ毒杯は毒酒ではなく全草をすりつぶしたもののようです。
それと獄卒との会話の記録からそれは摘まれてきたばかりのもので、
ひじょうに小さな毒杯であったことも伺えます。
するってーと、これはどう考えても花の咲く時期の毒ニンジンじゃあないのかな
って思われるワケなんですよね。
実際、寒い時期には毒酒が用いられたようなんですから。
と、ここで「そっかぁ、暦が違うんだ」って結論に達するわけです。

前述の「パイドン」によると、
毒杯をあおったソクラテスは静かに獄内を歩きながら最後まで弟子達に
哲学を語り、そして静かに横たわると息をひきとったと描写されています。
が、ちすの手元にある「役に立つ毒草百砧」という書物によりますと
 <(そういう変な本は買わないように)

「毒ニンジンの毒性成分のコニインは中枢神経の伝達系を阻害する。
 血中に入るとまず頭がしめつけられるように痛み、分別が働かなくなる。
 次いでロレツが回らなくなり、
 内蔵が切り裂かれるような七転八倒の疼痛に見舞われる。
 その頃には息が吸えなくなって浅い息をしながら転げまわる。
 その後、氷のような冷たさが悪寒とともに全身を襲い、窒息により死に至る。
 死亡時の状況は口を開け舌を出し、白目をむいたままとなり、前身が鬱血で黒ずんでいる」
とあります。
うーみゅ・・・そりわ見たくない。
プラトンの嘘つきーっ!(爆)

ソクラテスの最後の言葉に「悪法も法なり」とかってのがあります。
こいつをどうもあきらめ気分で使われたり、逆に説得に使われる事が
多いようなんですが、この用法はいかにも日本らしいって発想のようで、
欧米では
「悪法だからと言って、破っていいとは言えない。
 まず正当な手段でもって、異議申し立てをするべきである」
と説明されているようです。
論争をもって正論を得ようとしたソクラテスの言葉なんですもんね。

[No.150]不如帰(ホトトギス) 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/04/23(Sun)-21:47
 鳴かぬなら 殺してしまえ 不如帰     織田信長
 鳴かぬなら 鳴かせてみせよう 不如帰  豊臣秀吉
 鳴かぬなら 鳴くまで待とう 不如帰    徳川家康
で有名なこの句。有名なるがゆえにパロも山のように作られています。

と、言うことでいろんな方々の不如帰をパロってみました。

 鳴かぬなら 麿が泣くぞよ 不如帰   明智光秀
 鳴かぬなら 裁きにかけるぞ 不如帰   石田三成
 鳴かぬなら 鳴いたふりせよ 不如帰  筒井順慶
 鳴かぬなら 節約するか 不如帰   上杉景勝
 鳴かぬなら 幽閉するぞ 不如帰   伊達政宗
 鳴かぬなら 神に祈らん 不如帰    細川忠興
 鳴かぬなら 鳴くよに頼もう 不如帰  藤堂高虎
 鳴かぬなら 見捨ててしまえ 不如帰  小早川秀秋
 鳴かぬなら なにかの間違い 不如帰    豊臣秀頼

 鳴かぬなら 政治が悪い 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら 署名を募ろう 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら 「守る会」です 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら 反対集会 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら 差別だ差別だ 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら 戦争する気だ 不如帰  プロ市民
 鳴かぬなら お上の意向よ 不如帰  プロ臣民
 鳴かぬなら 正義の鉄拳 不如帰  プロ臣民
 鳴かぬなら 非国民なり 不如帰  プロ臣民
 鳴かぬなら 経済制裁 不如帰  プロ臣民
 鳴かぬなら 対外干渉 不如帰  プロ臣民
 鳴かぬなら 自由の敵だ 不如帰  プロ臣民

 鳴かぬなら それでもいいじゃん 不如帰

[No.149]五省 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/24(Fri)-17:47
五省。
ご存知でしょうか。
昭和7年、海軍兵学校の松下少将が、創始したものです。
敗戦まではたいていのヒトが知っておられましたが、敗戦後は軍国的である
との批判から黙殺され、消え去ろうとしています。

  五省

  一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか
     (真心に反することはなかったか)
  一、言行に恥ずるなかりしか
     (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)
  一、気力に欠くるなかりしか
     (気力に欠いてはいなかったか)
  一、努力に憾(うら)みなかりしか
     (努力不足ではなかったか)
  一、不精に亘(わた)るなかりしか
     (不精になってはいなかったか)

兵学校の生徒達は、毎晩自習終了5分前になると、ラッパの合図とともに自習を止め、
机の上を片付けて瞑目し、心静かに座し五省を黙唱して反省しました。
五省が問うているのは「あるべき自分の姿ですごせたのか」

ヒトってのは常に結果と情に振り回されてしまいます。
たとえ不当なやり方であっても結果がうまくいけば評価する。
近しい仲であるからと、不正を行う者に対して異を唱えることに躊躇する。
五省はそんな「態度」に対する振り返りです。
自分自身がどんな態度で事例に臨んだか。
自分がこうありたいと思う態度で行動できたか。
そのことを自らに問いただそうとしているのです。
そして、それこそが「自らが由とする行動」。
「自由」というものにつながるのではないのかと思います。

稚拙ながら電脳掲示板における五省を考えてみました。

   一、理性に劣るなかりしか
   一、投稿に恥ずるなかりしか
   一、礼節に欠くるなかりしか
   一、調査に惜しみなかりしか
   一、違法に渡るなかりしか

[No.148]レッテル 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/21(Tue)-23:54
仕事の帰路、
丼モノのチェーン店の前を通りかかったら、
「牛丼中止のおわび」なる張り紙がありました。
感心して見たのは、例のドタバタからつい最近まで、牛丼が
供給されていたと言う事です。
赤字モードで牛丼再開のためのプロモーションをしていたんですネ。

で、思うンですが、
世間の皆様の反応ってなんだか過剰なんじゃないのかなぁってねー。
「こんなことでは、安心して肉が食べられません」とかってサ・・・
そんなに国産の肉は安全だと思っているんかなぁ
畜産大学で無駄メシ食っていた身で、多少なりとも国内の食肉事情に
触れていたちすとしては、こいつがどうも疑問です。
日本産なら安心できて、米国産なら心配・・
そいっぁとんでもない勘違いだと思いますぜ。

牛肉のみならず全ての食肉。
米国産と日本産。どっちが生きているかというと米国産でしょう。
青草を食み、太陽を浴び、大自然の空気を吸い、大地の気を受け・・・
米国産の肉には自然の気ってーのが入ってると思います。
これこそあのうすらでかい大地の持つ力なのです。
ヒトだってしたたかで命根性が入っています(笑)
比べて、日本の食肉は自然から切り離されています。
あれはもぅ生産工場です。自然の気は入っていません。

それでもきっと皆さんは宝くじに当たるより低い危険性に恐れおののいている。
怖いのは食肉が抱えている病原菌よりも
極東の植民地に強引に食肉を売りつけようと考える思想である
と言う事に気がついていない。

ヒトはいつだってレッテルに惑わされています。
食肉と同様に、
「危険」と「安全」という、単純な二極に区分してしまい。
そのレッテルに従って、「理解」とか「融和」とかって言う名の
キマリごとに振り回されて集団を形成しようとする。
1番大切な「自分はそれが好きか嫌いか」という選択肢を
ないがしろにしてまで、レッテルに従おうとしている。
そんな選択をしている事。
それは裏返したら自分自身も「そんな選択基準で見られている」って
事なんだって現実に全然気がついていない。

出会った時にはレッテルを覆い隠し、徐々に相手の動静を
見ながらレッテルを見せていく。そして仲良くなったら
「友達」とか「仲間」とかっていうレッテルをお互いに
貼り付けて縛りあうというのが日本人の「おつき合い」ですが、

「最初から看板掲げて選択していただく」って思いっきりも
面白いんじゃないのかなぁって思うちすです。

[No.147]ユートピア 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/20(Mon)-09:21
詩人の茨木のり子さんが亡くなられたと報道されていました。

彼女の名前を聞くと思い出されるのが「六月」という題名の詩です。
 ♪どこかに美しい村はないか♪
で始まる詩。
教科書にも採用されているので記憶にある方も多いでしょう。

最初にこの詩に出会った頃。「うーん、美しい詩だなぁ」と思ったちすですが、
年月を経てゆくにつれ、
この詩の内容がだんだん恐ろしいものに感じるようになってきました。
この詩の中にある「美しい村」
それはユートピアです。
ユートピアとはもともと16世紀にイギリスのトマス・モアが書いた本の題名で、
その物語中に登場する架空の国の名前です。

 ユートピアという国は、回りを暗礁に囲まれた三日月型の島で54の都市があり、
 各都市は1日で行き着ける距離に計画的に建設されています。
 都市には6千戸が所属し、定期的に町と田舎の住民の入れ替えがおこなわれます。
 各都市には家を単位とした管理体制が敷かれ、
 その長は基本的に終身制となっています。
 生活は集団生活で、ラッパの合図で一斉に起床し、
 食堂で提供される同じ食事をします。
 その後訓話を聞き労働に入ります。労働は主として農作業で自給自足。
 全ての住民は労働に従事しなければなりません。
 また、社会になじめない者は奴隷とされます。
 私有財産、貨幣、国内交易は存在せず、必要なモノは配給されます。
 信仰の自由は保障されています。ただし各自が自分の信じる神に祈れるように、
 教会にはいっさいの偶像・宗教画の類はありません。
 侵略のための戦争は禁止されていますが、
 国土防衛のために国民全員が男女の区別なく民兵として訓練を受けています。

前述の「六月」という詩はこのような第三節で終わっています。

 ♪どこかに美しい人と人との力はないか
  同じ時代をともに生きる
  したしさとおかしさとそうして怒りが
  鋭い力となって たちあらわれる♪

ユートピア・・・
美しい村はいったい何に対して「美しい」のでしょうか。
今週末は2・26事件、昭和維新の勃発した日です。
昭和維新の実行者たちにとってあの行動は「美しい人と人との力」
だったんでしょう。

「人と人との力」は「人でないものへの集団暴力」
「手と手をつなぐ」事は「輪の外への排除」
集団の背後に見える「弱者は何をやっても許される」
というイデオロギーが道を闊歩するのが恐ろしくて塀の上から降りることのできないちすです。

[No.146]五輪の処 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/17(Fri)-11:56
オリンピック。ヤですよねーっ。
 <(いきなりかいっ)
三位だろうが六位だろうが。テレビジョンの前でのほほんと見ている
方々のレベルじゃ到底たどり着けない領域なのに、
「ここは○○すれば・・」とかって勝手なこと言って、挙句に
メダルが取れないと日本国の威信にかかわるような事をみんなが言っている。
をいをい、いつからそんな愛国主義者になったんだ(笑)
あれじゃ健康を犠牲にしてまで身体を鍛えた競技者が不憫です。
そもそもが、たかが体育競技に国家の名誉を乗っけるような情けないことを
しているような時代はとっくに終わっているのにね。
そんでもって、こういうことを言い出す輩に限って、
普段国家主義や全体主義に文句こいている方が多いから始末がわるかったりします。
まぁ、おおっぴらに戦争のできない時代ですから、
オリンピックを戦争の代用として考えれば反戦にゃあ有効なのかもしれません。

お子様の通っている幼稚園では、運動会の勝敗にかかわらず
全員にメダルを配ったのですが、こういう事にすら「頑張った子がかわいそうだ」
などとトンチンカンな文句を言ってきたヒトがいたそうです。

オリンピックもいっそ、
応援団総出場の「メダル取り合いバトルロイヤル」でも放映したら
さぞかし視聴率は上がるのではないかと・・・
 <(ちす家はかぶりつきで視るだろうなぁ)

[No.145]大いなる洗浄 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/10(Fri)-20:57
初めてちすが北極圏を超えたのは20年前。
まだベルリンの壁はしっかり建っており、
極寒のアンカレッジできつねうどんを食べながら4時間の給油待ちを
しなくてはならなかった頃でした。

で、到着してしばらく、何に困ったといいましても「トイレ」
いや、洗浄便座などというものは当時の日本でも普及していなかったのですが、
そうではなく「トイレットペーパーが硬い」って事です。
このトイレットペーパの硬さ。
初渡航の5年後に新婚旅行で行ったときも硬かったし、
その後10年間毎年パリ祭に通っていたちすオクが持ち帰ったトイレットペーパー
 <(何をもって帰らすんじゃ)
を検証してもずっと硬いということから、今でも硬いのではないかと推測されますが、
とにかく硬い。
字がかけます。
コーランの1つや2つ書くのなんて簡単です(笑)
いや、「下痢ピーによる長期滞在モード」だったらトイレットペーパーに
鬼遊笑覧の2つ3つ分の下書きぐらいは書きなぐれるでしょう。
で、その上この固いトイレットペーパー。
二枚重ねは当然で、三枚・四枚。ちすの知る限りでは五枚重ねまで
ありました。
もしかしたらもっと重なっているものがあるかもしれません。

このトイレットペーパー。
なぜか高級なお店のトイレほど硬くて多層です。
ちすが最初に行った時。お仕事で行ったのでアパートが決まるまで
滞在したのはわりと高級クラスのホテルだったのですが、
その後新婚旅行のときに使った中級ホテルのものより明らかに硬くて多層の
物が使われていました。
実際、お店でも、「多層で、すかし模様つき」ってのは
高級テッシュなんかと並べて売られてます。
これが独逸だけなら独逸人の「硬くて丈夫なものはいいもの」とかって信仰の
せいかと思うのですか、シングルロールの日本製トイレットペーパよりも
軟弱な気質の仏人も硬くて多層に固執していることから、欧州全体に
このトイレットペーパーの評価基準は広がっているのではないかと思われます。
かくして欧州のトイレットペーパーはその冬の気候のように厳しく。
軟弱な日本人は欧州の厳しさを下半身から思い知る事になります。

とまぁ、数多くの強靭なおしりをお持ちの欧州。
前述の洗浄便座が普及していないのは、「きれいになった気がしない」
事なのではないかと思うワケです。
だって、あんな画用紙みたいな紙で拭かないと気が済まないおしりなんですから。
そこで、そんな欧州に洗浄便座をいかに普及させるか。
なんたって普及してくれないと困る。多くの現地日本人が泣いているんです(笑)
これはひとえに「高水圧細密水流」だと思うんですよネ。
なんでしたらより存在感を高めるためにパルス噴流なんかでもいいかもしれません。
水流の直径は数十ミクロン。オプションで数ミクロンのオーダーも可能。
水圧は30000パスカルは欲しいですネ
え?そんなものあるかって・・・
いやいやあるじゃないですか、世界に誇る日本の発明「高圧ウォータカッター」です。
墓石だって真っ二つ。確か水流の射出速度はマッハ3とか・・・
これさえ装備すれば強靭なおしりの欧州人もまちがいなくきれいになった気がします。
組織を壊さずにカッティングできるので、ついでに肉や魚の切断に使えるし。
どこかで出さないかなぁ
 <(出さないと思う)

[No.144]立春の卵 投稿者:ちすもん 投稿日:2006/02/03(Fri)-12:44
明日は立春。
卵が立ちます・・・
これは中谷宇吉郎博士の「立春の卵」って
著作にある有名なはなしですが、間違いなく立ちます。

いやなにも立春だから立つって事ではなく、
卵ってのは基本的には立つものなんですけどネ。
なんだって重心点をみつけりゃ立つわけです。
ただ、卵のような形だと重心点が小さい上に、頂点から下ろした垂線が必ずしも
重心点ではないって事なので難しいだけです。
でもね、こういう「到底無理なように思えることをとことんやってみる」
って日が一年に一度ぐらいあってもいいんじゃないかって事で
この時期、事あるごとに立春の卵立てをおススメしているしだいです。
数分頑張れば必ず立ちますよー。

中谷宇吉郎博士も書かれていますが、
こういうどってことない事例って、大切な意味があるように思います。
数分間落ち着いて卵を立ててみようとすること。
何だって決め付けないでやってみるって事の大切さですよね。

で、同じように思うのが
ヒトだって実は独りで立てるんじゃないかって事。
 「ヒトは独りでは生きてゆけない」
 「ヒトは支えあってないと倒れてしまう」
 「ヒトは手をつなぎあわなくてはいけない」・・・
そういう事が当たり前のようにいわれている現在。
「実は困難なんだけどヒトは独りで立てる」のかもしれないって、
考えてみる視点って大切じゃないのかなって思うんです。
ヒトが独りで立てないと思い込んでいるから、ヒトは独りになることを怖れ、
怖いから、独りにならない為なら正しいと思った事にも口を閉ざし、
やるべき事にも踏み出せない。
誰かと手をつないでさえいれば安心だと思っている。
「仲間」や「友達」と呼び合える相手がいないと
自分は社会に要らない存在じゃないかと不安になってしまう・・・
命は「個」です。集団の部品なんかじゃない。
生きているということはそれだけでこの世が必要としている存在なんです。

「ヒトは独りでも立てるんだから、誰も一緒じゃなくったって、自らが由と決めた道を進む」
これが自由って事じゃないのかなって思うんですよ。

と、言うことでまずは卵を立てて見ましょう。

[No.143]鍋をつつけば 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/12/17(Sat)-01:58
忘年会の季節です。
通常の勤め人の場合、平均値としてざっと3. 1415926535回/人
 <(どこが「ざっと」なんだ)
の忘年会があるそうです。
この「忘年会」によって、サラリーマン諸氏とことん年を忘れてしまい、
ついでに我も忘れてしまいます(笑)
ちなみに、このような生活が数十年続くことで、
サラリーマン諸氏が自我も忘れてしまうというのが認知症の原因のひとつでは
ないかとの説が最近の専門誌に・・・
 <(ウソです)

冬の宴席といえば「鍋」
鍋を囲んで飲み食らうというのは、
日本人にはかかせないコミュニケーションの方法なのでしょう。
ところがこの宴席で鍋をつつきあうというのは歴史的にはさほど古い風習ではありません。
まぁ、洞窟生活をしていた太古の頃は焚き火に土器を乗っけて獲物を煮込んで
皆でつつきあっていたのでしょうが、それでもそれは「ファミリー」の中での事です。
「他人同士が同じ鍋の食物を食べる」
実はこれは明治期以降に定着した風習なのです。

それまでの食事の方法というのはあくまでも個食。
武家の箱膳のみならず商家でも膳は個々に供され、農家においても調理は大きな
鍋で行っても食事は個々の食器に配膳され、
直接鍋に箸をのばすと言うようなことはありませんでした。
これにはやはり衛生観念というものがあったようです。
もちろん当時衛生に関する知識がひろく認知されていたというような事はありませんが、
他人の口の中に入った箸が直接鍋に入れられるというような事は気持ちがいいものでは
ありません。
日本人というのは亜細亜の箸文化圏の中では珍しく「個人の食器」としての箸が
発展しています。
他の国では箸というのは什器と同様に共有物であり、
食事の際には何本かある箸の中から任意の2本を取って使うというのが普通です。
つまり自宅においても箸というのは食堂などの外食時の箸と同じあつかいなのです。
ところが日本において「箸の個人性」は非常に尊重されています。
憲法第13条にもあるように、「すべて国民の箸は、個人として尊重」されています。
 <(ウソです(笑))
それは前述のような外食時にもおよび、
現在日本国は世界最大の「割り箸消費国」なのですネ。
 <(これはホント)

さてさて、それほどまでに箸の個人性にこだわってきた日本人が、
なぜ「鍋」というものにおいてはここまでの没個性を容認するか。
これこそが社会の運営において没個性を余儀なくされてきた庶民の深層意識の
反映ではないかと思うのです。
顔と顔をあわせて話し合うと議論が紛糾するような場面においても、
互いに目線を「鍋」という共通のものに移す事で、和らげることができる。
そして、
鍋という共通資産を所有しているという連帯感。
「鍋料理」の失敗は個人ではなくその鍋をより所としている全体の
損失になってしまうであろうという責任感。
味に特出した特性がある具であっても、「鍋」という環境下で一体として
煮込まれる無難な味に収めてしまうという一体感
最後に、
無事に「鍋」を終了した後に供せられるであろう雑炊を待つ期待感。

これこそ「無難に勤め上げて年金を待つ」という社会の模式図。
そう、鍋というのは現在の日本人社会そのものの縮図なんです。
したがって宴席において鍋の選択を間違い、
鍋奉行の怒りを買うようなことになりますと、幹事は切腹お家は断絶、
路頭に迷う家族達は「あぁ、あのとき父ちゃんがあんな鍋を選ばなければ」
と嘆き悲しむ日々を送ることになります。

かつては忘年会の幹事をおおせつかった者は、鍋奉行から物言いが合った場合、
すぐさま切腹ができるように脇差を懐にのんで忘年会に向かったものだそうですが、
現在ではその風習はすたれてしまっています。
 <(ウソです)

鍋が共産圏社会に普及していないのはきっとこういう事が原因なのかもしれません。
いや、共産系陣営のみならず、
たとえば米国人に
「コーンとハムとアボカドをトマトスープで煮込んでタバスコのたれでいただく、
 仕上げには鍋にオートミールを入れてリゾットを・・・」
というような鍋を提案してもきっと拒否するでしょう。
 <(いや、日本人でも拒否すると思うぞ)

と、鍋をつつきながらひたすら論じ合う今日この頃。
最近気になるのですが、最後の雑炊の量が年々少ない・・・
上層部の者から搾取していった最後。
裾野の方の連中に渡る雑炊は茶碗の1/3にも満たない量の事が多々あります。

・・・年金の破綻は時間の問題のようです(笑)

[No.142]アイラブ後白河 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/28(Fri)-21:01
25日はちすが愛してやまない後白河院の即位記念日です。

知らない人はぜんぜん知らず、知ってる人でも極悪人だとしか思っていない後白河院。
実は日本で最初、いや世界で最初の「歌追い人」だったってことは知られていません。
と、言うことで「勝手にご贔屓。後白河サン物語」ですー

「今様」ってご存知でしょうか。

 ♪遊びをせんとや生まれけむ
  たわむれせんとや生まれけむ♪

とかってので有名です。
平安末期に遊女(あそび)や傀儡子(くぐつ)などの女芸人によって歌われ、
広められた流行歌です。
で、この今様に惚れちゃったのが後の後白河院になる雅仁(まさひと)親王。
いやいや、とんでもない事です。今で言うなら皇族がストリートミュージシャン
やっちゃうって感じ(笑)
この、
後白河院って、今で言うところの「大金持ちのボンボンで目一杯悪ガキ」
ってやつでして(笑)
少年時代から夜遊びはするわ、遊女と遊ぶわ、供もつれずに洛中に繰り出すわの不良三昧。
あげくに今様に夢中になったのは前述のとおりなんだけど、
あろうことか川原者の芸人に弟子入りして今様を教わり、
ついには自らが今様の第一人者になってしまいます。
いやぁ、好きだなぁこんな皇族(笑)

さて、この遊びたい放題だった雅仁親王。
四男なので普通なら皇位継承の可能性なんぞはまずないのですが、
 <(だもんで安心して遊びほうけていたようなんですが)
父ちゃんの鳥羽院と長男の崇徳院が大喧嘩しちゃいました。
 <(と、言うか鳥羽院は「院政」とかって事で傀儡の天皇を置いて好き勝手を
    したかったんですネ)
で、崇徳院はクビ(笑)
しょうがないので周りが崇徳院の長男の
重仁親王(しげひとしんのう)を次の候補として用意したら、物言いが入ります。
「とりあえず四男が生きてるんだから天皇を継がせりゃいいんじゃないの」って・・・
まぁ、どうせ傀儡の天皇なんだから誰でもいいってことだったんでしょう。

いやいや、これに驚いたのは当の後白河サン。
「えーっ、ボクっすかぁ?」
周り大騒ぎ。
なんたって、
「音曲狂いの呆けもの。文にも非ず・武にも非ず」
 <(ぼろ糞な言われ方(笑))
と評された、とんでもない人物が帝位についたのです。

だいたいが、兄ちゃんが天皇を継いでいるわけなんだから、次は兄ちゃんの長男が
継ぐのは当然ってやつです。こんなことがまかり通るなら
今だってなにも大騒ぎして愛子ちゃんを・・・あわわ(笑)

もどって後白河サン。
そのときすでに29歳。当時の基準から言えば充分中年オヤジです(笑)
いまさら政治をやれっていわれても困っちゃいますよね。
そこで、これにブチ切れるのが兄ちゃんの崇徳院
「えぇい、オヤジと思って下手にでりゃあとんでもないやっちゃな」
と後白河サンをほったらかしに鳥羽院に喧嘩をふっかけちゃいます。
 <(「保元の乱」ってやつですにゃ)

とにもかくにも、その雅仁親王が後白河天皇になったのが850年前。

ところで、この「文にも非ず・武にも非ず」なーんて言われていた後白河サン。
実はめっちゃ切れ者でした。
えてして不良息子なんてのはそんなものです。
師匠の芸人達が後白河サンの記憶力と音感を「鬼神のごとし」と評しているくらいです。
今様のメロディはたいてい一発で理解しちゃったし、
そいつをすぐさま琵琶で弾きこなしちゃうし、歌詞なんかも師匠よりしっかりと
覚えていたそうです。

その才能が政治に向いたからすごい。
よく歴史では、源氏と平氏を手玉にとって、政治の実権をにぎった
なーんて表現されていますが、
そもそも、当時武士なんてものは公家にしてみりゃあ下等動物。
ヒゲは生やすわ、汗臭いわ、獣に直接乗るわ、言葉はなまってるわ・・・
そんな下品な連中が公家の真似をしてみたり、ましてや鎌倉あたりからの
東国者が宮中に出入りするなんてのは
雅を愛する後白河サンに我慢ができるはずがありません。
 <(わかるなぁ、後白河サンの気持ち)

[No.141]アイラブ後白河(続き) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/28(Fri)-21:00
で、この政治ごっこに走り回っている頃に、後白河サンは後世に残る大偉業を
やってくれてるんです。
「梁塵秘抄」の編纂です。
後白河サンが愛してやまなかった今様の集大成です。
ホント、歌が好きだったんですね。
今様は当時の流行歌。
つまり「梁塵秘抄」って、日本で最古のフォークソングの歌集ってことです。
編纂つったって、殿上人達が今様など知ってるわけもないですから、
そのソースを提供したのは後白河サン本人。ついでに宮中に河原者達を呼んで
大今様大会なーんてのも開催されています。
いや、これただのご招待のレベルじゃないですからね。
宮中に入れるなんてのは当時の身分で言えば五位以上。
人口全体の1%以下です。
ネコですら宮中で飼われている仔は五位の地位をいただいていたんですから。
それが事もあろうに庶民以下といわれていた河原者ですからね。
周囲が文句を言ったら
「んじゃあ、河原者達に五位を賜ってやりゃいいじゃん」って・・・えらいぞ後白河っ!

さてさて、政治に忙殺されて好きな音楽のひとつもできなかった後白河サンが
やっとの思いで「梁塵秘抄」を完成させた頃。
またまたドンパチがはじまっちゃいます。
「平治の乱」ですね。
で、とうとう侍が勝っちゃって・・まぁ困ったわ・・・

平清盛。ご存知ですかぁ。嫌な顔ですねー。品の無い事(笑)
伊勢の生まれですからネ。ミャーミャー言ってるわけです。はい。
色も黒かったみたいですよ。
あぁいうタイプは汗臭いですねきっと<(決めるなって)
スケベそうだし。
虫で言うならチャバネゴキブリってやつですにゃ。

後白河サン
あわれにもそのチャバネゴキブリのおかげで自宅に蟄居させられちゃいます。

チャバネゴキブリによってホイホイに蟄居させられちゃった後白河サン
苦悩の日々はなんと25年も続きます。
もちろん後白河サンもそのかんなんとかして平清盛をやっつけようとするのですが
いかんせんどうもうまくいかない。
結局、平清盛がマラリアでおっ死んでからやっと始末ができたんですが、
ここで手を借りた相手が悪いです。
源頼朝。
いやですねー。またまた東人。そのうえ今度は東国武士団なんて連中まで引き連れてます。
この東国武士団。すごかったらしいですよ。
なんたってヒゲぼうぼう。んでもって体毛が濃い。眉毛なんて毛ガニみたい。
身体はいかついし、肌は地黒ってやつ。光っちゃったりしている。
下品ですねー。いや、正確に品性下劣と呼ぶほうがいいでしょう。
こいつら1日に3回もご飯を食べていたそうです。
それもですね。外で食べちゃう。こりゃもう下人並ですな。
その上道を走る。
この連中がやってくるまでは京の人は走るなんて事はよっぽどでないとやらなかったんです。
さぞ洛中の方々は驚いたことでしょう。
今度はヤマトゴキブリってやつですな。

源頼朝は後に後白河サンのことを「日本一の大天狗」といってののしっていますが、
あたしゃ、天狗のおじさんに日本の夜明けを告げて欲しかった(笑)

ま、唯一の救いは
源頼朝に輪をかけて下品だった源義経をおだてあげて自滅させたことですね。
源義経、色黒でちびで出っ歯。そのくせに威張り倒していましたからねー。
一説によると高下駄はいても身長は150CMぐらいしかなかったとか。
とにもかくにも、おかげで鎌倉幕府はさっさとつぶれちゃいました。

 ♪遊びをせんとや生まれけむ
  たわむれせんとや生まれけむ
  遊ぶ子どもの声きけば
  わが身さへこそゆるがるれ♪

後白河院がこの今様にたわむれに付けたといわれる続節があります。

 ♪我らは何ゆえ老いならむ
  思えばいとこそ哀しけれ♪

つまらない政権争いなんて嫌でしょうがなかったのかなぁ。
晩年、後白河院の今様が宮中に流れることはなかったと言われています。

侍社会という新しい流れの到来に、孤立無援で闘い続けた後白河院。
もっと安定した時代に生まれていたら、有り余る才能をすべて音曲に
ささげたのかなぁと思うと哀しいですね。

と、このような偏り歴史を知ってから年末の大河ドラマの総集編をごらんになると
よりいっそう楽しめるのではないかという後白河院の一席でございましたぁ。

[No.140]行きたいところ 投稿者:Refrain 投稿日:2005/10/18(Tue)-16:14
テスト書き込みです。

まだ行ったことがなくて行ってみたいところが沢山ある
もしも行けるならば三歳の頃遊んでいたあの海に行きたい

[No.139]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:55
 「出町柳の三角州って知ってるか」
 「知ってるもクソもガキの頃からよく遊んだところだ、こんな暑いときにゃア
  あそこで昼寝でもするに限る」
 「そこにだ、お宝が埋まっている」
 「お宝ぁ!!」

暑苦しい京の夏。謙之助が
「障子を締め切って家にこもり、半時ほど熱気に耐え、
 我慢の限界が来たところで障子を開け放つと外気が涼やかに感じて快感になる」
などと言うわけの判ったようなわからないようなやり方で暑さをしのごうと言い出し、
真昼間から汗だくで障子や雨戸を開けたり閉じたりを繰り返し、
そろそろ夕刻になりかかった頃、ふと思い出したように諸之進が言い出した。

 「お前さぁ。いきなりなんなんだよ、そんなこと言い出して」
 「いきなりじゃねぇ。今日はその話をしようとしてやってきたんだ
  するってーとお前さんがこの暑いのに雨戸をひっぱりだしてガタゴトやってるし、
  なんだとおもったら暑さしのぎだとかってんで
  付き合っていたら忘れちまったんだ」
 「忘れちまった、だなんてひどいですわネ。
  そういう儲け話はさっさとお話下さらないと
  他の方々に取られてしまうではありませんか」
 「そういうおサキさんは今日は何をしに来たんだよ。まさか謙之助の
  暑さしのぎの手伝いの為じゃああるめぇに」
 「当たり前ですわ、誰がこんな酔狂な事のお手伝いだけの為に来ますかっ。
  謙之助様にお会いしてご相談があるってお客様を見つけたんで
  来られる前に御注進と思ってとんできたんですのよ」
 「とんできたって・・・それが一緒になって雨戸と格闘していたじゃねえか」
 「あ・・・いや、お二人が真剣だから、
  これは本当に涼しくなるのかなと思って・・」
 「へん、人のこたぁ言えねぇぜ」
 「ちょっとまて、お前さん達どっちもどっちもじゃないか。
  ちょっと落ち着いて順に話しなよ」
 「落ち着けって、もともとお前がこんな変な思いつきをしなきゃあ
  よかったんじゃねえかよ」
 「おまえだって名案だっていったじゃねぇか、
  それにいっときばっかは涼しかったろ」
 「この陽気に雨戸締め切って火鉢に炭いこしてるのにくらべりゃぁ
  どこだって涼しいよっ」
 「まあまあいいじゃねぇか。
  で、おサキ殿。そのご相談があるってお客様は?」
 「はい、本日暮六つにお邪魔したいのでよろしくお伝えくださいと・・」
 「暮六つって・・げ、もう七つ過ぎてるじゃねぇか、水汲み時の鐘もなってるし・・
  まったく、そんなこたぁ来られてすぐに言って下さいよ」
 「だって、あたしがまいりましたらお二人が雨戸締め切って真っ赤なお顔で
  熱気我慢をされていたじゃありませんか。
  で、なにか面白い事にでもなるのかなって思って
  ついついお付き合いを・・」
 「まったくー、とりあえず茶の支度だけはしておこう。おい諸之進。
  ちょっと四条まで行って茶菓子と肴を買ってきてくれ」
 「あら、お茶菓子ならわたくしがしつらえてまいりましたわ、
  そこの水がめの側に・・あら?ない・・・」
 「えー、あれお客用のだったの。てっきり八つの茶の子だと思って食っちゃった」
 「食っちゃったって・・諸之進・・・。
  しょうがないなぁ。代わりのもの買ってこい」

[No.138]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:54
と、諸之進を買い物に追い出して茶釜に水を入れ、火鉢にかける謙之助

 「で、おサキ殿。お客様ってのはどういう素性の方なんですか?」
 「いえそれがネ。唐人さんですのよ。
  なんでも大坂の舎密局の先生だったそうですわ。
  それが今度西の京に出来た司薬場の先生に召喚されたとかと言う事で
  こちらに出てこられ、実演に使われる阿蘭陀硝子の細工物をご注文
  いただけることになったんですの。で、その方がなにやら厄介事があって、
  名の通った何でも屋の謙之助様につてを知らないかとおっしゃるもので」
 「俺を紹介するって言ったんですか」
 「紹介もなにも、ギヤマン問屋のお女中とは世を忍ぶ仮の姿。
  わたくしこそがその何でも屋の謙之助の元締め。
  大船に乗ったつもりでご相談下さいと・・」
 「元締めって・・・まったくお店に知れたら叱られちゃいますよ」
 「いいんです。
  今回の阿蘭陀硝子のお仕事でお店の方は大もうけされているんですから、
  多少のご奉仕をしたって罰はあたりませんわ」
 「まあいいでしょう。で、その唐人の先生ってのは?」
 「はい、阿蘭陀から来られた紺烙堂魚流採祓賜とかって」
 「こんらくどう・うおりゅうとる・はらたま。???」

そこに細長い包みを持った諸之進が戻ってきた

 「いゃ、陽が傾いたってのに暑いなぁ。ほい、茶菓子と肴だ」
 「ほいご苦労さん・・って。なんだその長っ細いものは?」
 「これか、こいつは棒鱈だ」
 「棒鱈?そんなもんどうやって肴にするんだ?」
 「いや、こいつは棒鱈を一度ほぐして固め焼いたものだそうだ。
  鱈棒とか言うらしい」
 「変なもの買ってきたな。まぁ食えるんならいいや。茶菓子は」
 「暑いんで水菓子にしようと思ったんだが、水密糖が売り切れてたんでよ。
  愛玉子を買ってきた」
 「愛玉子って例の唐菓子かよ。客人ってのはどうも唐人だそうだ、唐菓子じゃあ
  喜ばないぜ」
 「唐人。偶然だなぁ俺にお宝の話をしてくれたのも唐人だ」
 「それじゃ、今度はお前さんだ、
  出町柳のお宝話ってのはいったいどんな要領なんだよ」
 「いやな、昨日塩小路の洗湯に行ったらよ。
  ススキの穂先みてえな頭が湯船に沈んでるんだ
  ほぅ、風呂嫌いで有名な唐人がくるなんざぁめずらしいなぁと思って
  近くに行って見るとこいつ、浄瑠璃を鼻歌でうたってやがるんだ、
  こりゃおもしれえ唐人だと思って声をかけたら
  なんでもつい先日大坂から上ってきたらしい。
  それでまぁ湯床にあがって一杯呑みながら
  食っちゃべってると、やっこさん謙之助のツテを探しているって言うじゃねぇか」
 「で、俺を紹介するって言ったのか」
 「紹介もなにも、唐物絵師の旭諸之進たぁ世を忍ぶ仮の姿。
  おいらこそがその何でも屋の謙之助の元締め。
  大船に乗ったつもりでご相談しろと・・・」
 「なんかどっかで聞いたことがあるセリフだなぁ。それで」
 「おお、それでだ、なんでもワケありで出町柳の三角州に埋めてあるお宝を
  人目につかないように掘り出してくれって相談だ」
 「ほー、それで」
 「あぁ、詳しいことはお前さんに会って話した言って事だったから今日呼んである」
 「今日って・・・もうすぐおサキ殿が紹介する客が来るってーのにまったく・・・
  で、その人はなんて名なんだ?}
 「唐人の名前は覚えにくいんで筆にとってある。
  混乱堂織反波羅詫摩とかって言うそうだ」
 「こんらんどう・おるたん・はらだま。なんかどっかできいたような??」

 「はいおこんばんわぁ。こちらが謙之助様ですかぁ。
  私、四条御前の司薬場の試調所長をしとります
  Koenraad・Wolter・Gratamaと申します
  おや、諸之進様、おサキ殿。お二人ともおそろいで。
  いやいやこのたびは謙之助様との
  お引き合わせ。ありがとうございます」
 「あーっ。ハラタマっ!!」
 「なんだよ、お前さんたち二人かかって同じ御仁を紹介したのたかよ。
  まったく京の町が狭いからといっても偶然にも程があるぜ。
  ところで、ハラタマ先生とやら。
  いったい俺に相談事ってのはどんなことなんだ?」

[No.137]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:52
諸之進の買ってきた鱈棒を回しかじりながら、ハラタマの話を聞く一同。

 「以前私が大坂舎密局に奉していたときに、橋本宗吉サンってお方と、新しいエレキ
  の製法を考えついたんです」
 「新しいエレキの製法?」
 「はい、現在エレキを使うには起電機で作ったエレキを雷電壜に溜めるか、
  ボルゥタ式のエレキ発生器を使うかのどちらかです。
  雷電壜は長くエレキを溜められませんし、
  ボルゥタ式は硫酸水を使うので危なかしい。そこで、」
 「どこで・・」
  (ひさびさに出る諸之進のボケ)
 「ん?どうされました諸之進サン。
  いきなり脳天に鱈棒をつきたてて泡吹いておられますが?」
 「あ、気にしないでくれ。持病のテンカンだ」
 「あ、そうですか」(納得するなぁ!)
 「で、その新しいエレキの製法ですが、
  塗金をした壜に黒鉛を芯にして紙と錫箔を巻いたものを詰め。
  濃い塩水をかけるだけと言う簡単な方法でエレキを作ることができます」
 「そりゃまた便利なシロモノだが、ちょっと物騒だなぁ」
 「はい、便利なものというのは悪いことに使うにも便利です。
  それで私らもこういうものの作り方は大事に仕舞っておくのに限ると思いまして、
  舎密局でもその資料は厳重に保管をしておったのですが、
  どこからそれを聞きつけたのか
  その資料を欲しがる方々が出てまいりましてね」
 「どんなやつなんだ?」
 「なんでも佐倉藩大坂屋敷お抱え舎密師の春待小女子(コウナゴ)の一味とか・・」
 「げっ!妖怪チリメンジャコ!!」
 「ご存知なのですか?」
 「ご存知もなにも、あいつにゃぁ以前季節はずれの幽霊騒動でヒドイ目にあったんだ
  なんだよー。信貴山にこもってる筈じゃあなかったのか」
 「そうですわ、だからお山にあずけるなんて中途半端な事はしないで、
  三条河原で味醂醤油に漬け込んで釜茹でにしてしまいましょうって言ったのに」
 「おいおい、五右衛門じゃねぇんだからそうもいかねぇだろう。で、
  なんでまた畏れ入り扱いのしらす干しがたかが
  半年ばかりでご赦免になったんだ?」
 「あのぅ、名前はたしか小女子だったかと・・・いや、なんでも
  先日藩邸で小火騒ぎかあった折かねて小女子が藩邸内の各所に仕掛けておいた
  防火弾が役に立って大事に至らなかったそうで、
  それを聞いた大坂詰め家老があっぱれな事であると特に赦免としたそうです」
 「ふーん、防火弾ねぇ。
  あいつが放火弾を仕掛けたとかってのなら話はわかるがなぁ」
 「で、タタミイワシのやつぁ、いったいその雷電壜をどうしようってんだ?」
 「佐倉藩が房総にしつらえてそのままになっている砲台。
  こいつをつかって新式の雷電壜を海に打ち出せば魚が痺れて動けなくなるので
  簡単に漁ができるとかって上訴されたと・・」
 「なんだそれは?変なことを言い出したな」
 「いや、それは表向きで。どうもそれにかこつけて
  砲台沖を通る廻り船を脅そうとお考えのようです」
 「たしかに、そんな仕掛けをされちまったら、廻り船にしたら恐いわな」
 「はい、それで昨今の佐倉藩の不祥事に抗議して不払いが増えている房総の通行料を
  しっかりと取り立てようと言うのが目的のようです」
 「漁が目的で廻り船を攻撃したわけではない。
  通行料は廻り船が自主的に払ったもんだから脅しじゃない・・・
  まったくロクな事を考えない連中だな」
 「はい、それで私もこれはいかん思いまして、
  舎蜜局をお暇するときにその資料を持ち出して、誰にも知れないように」
 「・・・出町柳の三角州に埋めたってわけだな」
 「よくおわかりで」
 「そいつをあのイカナゴがどこからか聞きつけて掘り出そうと京までやってきた」
 「はい」
 「で、チリメンジャコが掘り出す前に取り出して、別のところに隠そうってワケだ」
 「いや、そんなに何人もいなくて小女子サンお1人なんですけど・・・
  ま、その通りです。
  どうかお力を貸していただけませんでしょうか」
 「正直あのケンミジンコとはあんまり関わりたくもないんだが、ま、しょうねえな。
  あんなのがフワフワと京の街中をふらついているのも鬱陶しい事だ。
  手伝わせていただきましょう」
 「おおっ、それは。ありがとうゴザイマスー」
 「と、なれば早速相談だ。おい、諸之進。酒を出してくれ」
 「あら、相談っていうとお酒になるんだからこの人たちはもぅ・・・」

[No.136]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:50
さてさて、相談事から2日たった月のない夜。出町柳に向かう四人の影。

 「しかし暑いなぁ。こんな夜は庭に打ち水でもして、鱧の落としかなんぞを肴に
  冷たいやつを呑んでいたいところだぜ」
 「贅沢いうんじゃねえよ。暑いならすぐに行水をさせてやるから」
 「をいっ、なんだよ川に入るのは俺だけかいっ」
 「流されないように縄を付けてあげますからね。縄を引っぱったら水に潜ってお宝を
  くわえて上がってきてくださいな」
 「俺は鵜かぁ!!」
 「おや・・・お客さんがおまちのようだぜ」
 「・・・ほんに・・この暑いのにしっかり着込んじまって大変なこったな。
  おい、お前さんたち。隅に固まっていたら暑いだろう。出てきな」

諸之進の声に、闇の中から現れたのは黒装束の集団。
そしてその前にちょこんと立つ小さな影・・・
 「久しぶりだわね、おチャラケ3人衆」
 「あー、<チリメンジャコ・しらす干し・いかなご>」
 「こらこらこらーっ!、3人共が違う呼び名を言ってその上全員が間違うなっ!!
  あたしゃ小女子だと言ってるだろうが」
 「うるさいっ!似たようなもんだろうが、まったく。
  信貴山に入れられたって聞いたからもう顔も見ることもないだろうと
  思っていたら、今度は京までのこのこと出てきやがって」
 「のこのことはなんだい、こちとら山の中で1日中写経はさせられるは、
  食べるものと言えば精進ものばかり、
  やっとの思いでご赦免になって出てきたんだからね」
 「やっとの思いって、やはりなにか仕掛けたなお前さん。
  どうも話がうますぎると思ったんだ」
 「うるさいね。今度はお前達に邪魔なんかさせないからね」
 「ところで、さっきから気になってんだが
  その法被の背中の染め抜きはなんなんだ?」
見てみると春待小女子の羽織っている長法被の背中には
でっかく「四尺二寸」と染め抜かれていた。
 「なんなんだってあたしの背丈だよ。いくらあたしがちびだからって、
  みんなが寄ってたかって「三尺八寸」だとか「下駄はいても四尺」だとか言うから
  間違いのないように書いてあるんだよ」
 「書いたって・・・、「四尺二寸」だってちびはちびじゃないか」
 「うるさいっ!こう言う事は大事なんだ」
 「そもそも「四尺二寸」もありましてー?
  あたしと三寸しか違わなくは見えませんわ」
 「あー、言うわね言うわね。ちょっと人並みだからってこのこのこのっ。えぇいっ、
  背の中みんなが悪いんだぁー」
 「・・・こいつ、妬みを取ったら下駄と着物しか残らんようなやつだな。
  ともあれお前さんたちに資料を渡すわけにゃぁいかないんでな。
  お先に失礼するぜ」
と、駆け出す4人。
小女子は黒装束を従えて追いかける。
 「おいっ、ハラタマさんよぉ、どうするんだ。
  いつまでも大路を突っ走ってるワケにもいかないぜ」
 「大丈夫。そこに仕掛けが用意してあります。ほらそこの溝板のところ。
  踏まないように飛び越えてください」
 「なんだ?」
と、角の向こうから黒装束が騒ぐ声が聞こえてきた

[No.135]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:48
 「では、仕掛けの準備を・・・」
というとハラタマはランドセルからにぶく輝く茶筒のようなものを出して並べ始めた。
中にはぎっしりと紙と錫箔が詰まっている。
 「なんだぁそいつは?」
 「百人脅しですー」
 「百人脅しぃ?」
 「ええ、あないにヒトが多いとかないませんし、ちょっと決着がつくまでの間
  静かにしておいてもらおうと思いまして」
 「・・こいつが新式の雷電壜かぁ」
 「なんだその雷電壜ってーのは?」
 「お前さんてのは人の話を聞いていないな。
  こいつが話の元になったエレキを出す壜だよ。一つ二つじゃあピリピリする
  程度だが、これだけ並べると触っただけで気を失うだろう」
 「さいです。それでこれがせんだってからお話している黒鉛式の雷電壜です、
  これで全部・・つごう十二個の雷電壜がこの導線でつながってそっちの地面の下に
  置いた鉄の板につながっています、
  こいつにこの塩水を注ぎますとエレキが起きて、こっちの線を伝わり、
  地面にエレキが全部流れるカラクリです」
 「おい、それって大丈夫なのかぁ」
 「命にまでは別条はないと思いますですね。
  ウサギで試しをしたときには半分は無事でしたし」
 「それって、半分がくたばっちまったって事じゃないか」
 「そうも言いますな」
などとぶっそうな仕掛けを準備している間に街道の向こうには黒装束の一団が現れた。
 「あ、来ちゃいましたよー」
 「よっしゃ、用意しましょ」
一同は物陰にひそみ、ハラタマは導線を繋いだ。
そこに黒装束の一団がやってきた、と、先頭の三人が地面の鉄板を踏んだ瞬間、
まるで空中に見えない壁でもあるかのように空気に張り付く、
すると、二列目の黒装束がいきおいついて先頭の連中にぶつかり、
同じく張り付いて硬直する、後続の連中は次々と前の黒装束にぶつかると
同じように丸太のようにこわばり立ち止まった。
 「あらまぁ、みなさん汗で濡れているもんだから効果が絶大ですなぁ」
 「エレキを喰らうとこわばるとは聞いていたがここまですごいとはネ。
  いゃあ驚いた」
 「なんか、後ろの方の連中、背中からプスプス煙が出てるぜ」
 「この方々どうなりますの?」
 「ま、とうに気は失ってますでしょうからこのまま寝てていただきましょう」
言うが早いかハラタマは雷電壜から伸びている導線を解いた。
とたんに黒装束はかたまったまま地面に倒れこんで動けない。
 「あーっ、チリメンジャコ」
 「え?、くぎ煮がどうかしたんですの?」
 「法被の染め抜き。
  「四尺二寸」の二寸のところが焦げちまって四尺になっちゃってる」
 「あー、ほんとー。でもまぁ、この方が正確ですわね」
 「本人も訂正する手間がなくってよかったりしてな」
とまぁ、
三人がプスプスと煙をあげて硬直している小女子を笑いものにしているのをよそに、
ハラタマは手早く雷電壜を片付けるとランドセルに入れて背負った。
 「行きましょか」

[No.134]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:46
たどり着いたは出町柳三角州。
 「ではみなさんこちらへ」
 「ちょいとまったハラタマ先生。よく闇をこらしてみな」
 「え・・・あっ」
闇の中に溶け込むようにして何人もの黒装束がこちらをうかがっていた。
 「むこうも阿呆じゃねぇ。しらす干しの組はただの囃し方だ。
  どうもこちらの連中の方はちょいと手間がかかるようだぜ」
 「しかたないです。派手な騒ぎは避けたかったですがこれを使いましょう」
と言うと、ハラタマはランドセルから陶器の薬缶のようなものを取り出した。
 「なんだこいつぁ?」
 「亜硝酸石鹸と黄燐を混ぜたものが入っとります。これとこの雷電壜を繋いで
  川に放り込みますとですな・・」
言うが早いかハラタマは雷電壜の導線を薬缶モドキにつなぐと賀茂川に放り込んだ。
と、同時に大音響がとどろきあたりは真っ白な光に包まれた。
 「な、なんだぁー」
白い光は舞い上がった水しぶきが爆裂の閃光に照らされたものだった。
音響が静まった後、川の水かさは膝丈ぐらいになり、
その分吹き飛ばされた川の水で
潜んでいた黒装束もやっと追いついてきた小女子一味も全部三角州から押し流され、
あたりは水浸しの状態になっていた。
と、星明かりに照らされた三角州の側の川底に
なにやら四角い物が埋まっているのが見えた。
 「あったぞ、あのカバンだ」
 「よしっ、持ち出そう」
 「いや、出すのは中身だけでいい。カバンはそのままにしておくんだ」
 「いったいどうなさるんですの?」
 「ちょいと俺に仕掛けがある」

[No.133]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:44
さてさて、加茂の川っぺりを歩く四人の前にまたまた現れた黒装束。
 「なんだぁ、しつこい連中だな。さっきの爆裂からよく逃れたもんだ」
 「素人衆といっしょにされては困る」
と、出てきたのはいかにも鍛え上げたふうの黒装束の頭領格
 「素直に雷電壜の書き物をお渡しいただけるかな」
 「あいにくと、子供の頃から拾ったものは六角堂に届けるように
  おふくろに言われてるんでな」
 「それは残念至極。では致し方ない。渡す気になっていただくとしようか」
黒装束は背中の大刀に手をかけ。そのまま刀を抜かずに身構える。
 「謙之助、こりゃぁお前さんには無理だな。
  お前さんの得意の柔術は相手が向かってきての
  もんだ。一撃必殺で振り下ろしてくる奴にゃあ手の出しようがないぜ。
  ここは俺に」
そういうと諸之進は草履をぬいだ。
 「お前さん玄人だね。相当ヒトを斬った事があると見受けた。殺しの為だけの剣。
  構えにスキがない。ま、品もないけどな」
諸之進は腰の刀を鞘ごと抜き去ると左の手に持ち、左膝を深くおって身構えた。
 「え?なんで?」
 「諸之進も玄人だ。ああすれば抜刀時に鞘走りの勢いを刀に乗せる事ができるんで
  深く斬り込める。どうせあの頭領着込みをつけているに違いねえ。
  ああでもしないと刀身が届かないだろう」
頭領であろう男は諸之進の構えを見て、背中の大刀を抜き去った。
 「品でヒトは斬れぬ。ふっ、素人だと思っていたが、
  きさま抜刀術を心得ているようだな」
 「見様見真似の無手勝流よ。そちらも、お前さん以外は素人のようだがな」
 「指揮をとるのは1人いればよい。
  あとは適当に動いて死んでくれる連中がいれば充分だ」
 「へっ、自分だけは鎖を着込んでるくせによく言うぜ」
二人は1間ほどの間をあけて対峙し動かない。
 「謙之助様。大丈夫でしょうか?」
 「むつかしいな。抜刀術は一撃必殺の技だ。万が一にでも外したら次がない。
  もし、あの着込みが斬れなかったら諸之進はオダブツだな・・実際、あの着込みが
  どの程度のものかはわからねぇし・・・うんっ、そうか着込みかっ」
謙之助はハラタマのランドセルをひっくり返すと雷電壜を取り出し、諸之進の胸元に
放り投げて叫んだ
 「諸之進っ、そいつを刀の鞘で打って奴の胸元に叩き込めっ!!」
 「へっ?なんだぁー?」
諸之進は一瞬とまどったが、
すぐに刀を両手で構えるとフルスイングで見事に雷電壜に命中させた。
壜は頭領格の男の胸元に飛び込み割れ飛ぶ。
頭領格の男は怪訝そうにそれを見ていたが、
次の瞬間苦悶の表情を浮かべその場に崩れた。
 「え?いったいどうしたんですの?」
 「雷電壜のエレキが胸元に直撃だ。心の臓がたまったもんじゃあねぇだろう」
 「だって、雷電壜は導線を当てないとエレキが流れないんじゃ・・」
 「普通はね。ところがあの野郎鉄の鎖を着込んでた。それで思いついたんだ。
  胸元で雷電壜を砕けさせて中の錫箔が直接触れたら、
  着込みにエレキが流れんじゃあねえかって」
 「まぁ、謙之助サマ素晴らしい。舎密技師もビックリのご才覚ですわ」
 「いやぁ、まぁ、それほどでもあるがなぁ・・・」
厳密に言うとそれだけではなかった。ハラタマがぶっ飛ばした川の水で一帯に
霧が立ち、熱気に蒸された水蒸気が上昇気流に乗ってかき回されて雷雲のような
状態になり、いわゆる球電ができる条件が整ったところでドンパチと雷電壜を
割ったりしたために霧の中に生じた静電気が全部頭領格の男を直撃した為だった。

が、結果オーライのこの連中にとってはそんな事はどうでもいい事で・・・

[No.132]燃えよ謙(その4) 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/17(Mon)-20:42
さてさて、こちらは泥水くらってボロボロの小女子一味。
 「まったく、いきなりなんなんだい。エレキは喰らうし泥水は降って来るし。
  ま、しかしおかげでお宝の入った西洋行李も見つかったことだし、
  みんな、中をあけてお宝をいただくんだよ」
 「アラホラサッサー」
と、手下達がカバンを開いたとたん。
まっくろい煙とともに黒い海綿のようなものがモクモクとでて来た。
 「え?、あーっ、これはぁ!!」
逃げ出す間もなく小女子一味は海綿に首まで埋まって身動きが取れなくなった。

 「で、またまた京惚れ特製の煙玉にひっかかったワケか」
 「そうそう、なんでも背中は焦げてるわ、泥水喰らってるわ、煙玉喰らってるわで
  グチャグチャだったらしいぜ」
 「それで、今度こそあのいかなごサンは釜茹でですの?」
 「いや、いくらなんでもそうはいかないでしょう。ただ佐倉藩もさすがに今回は
  ヤバイと思ったらしく、司薬所に処分を任せたらしい。
  で、司薬所が三田の猪場で育てている薬草のお水係として
  休み無しのお勤めを言い付かったらしいから。もう出てはこれないだろうな」
 「そりゃ一安心だ。今ごろ猪と仲良くやってるんじゃないのか」
 「猪に埋もれてわからなかったりしてね」

その頃小女子達は
 「えぇいっ、こらっ、くっつくんじゃないっ!まったく食い意地のはった連中だね」
 「小女子様ぁー。こっちで仔猪が柵を蹴破ってとびだしましたぁ」
 「なんだって?冗談じゃないよー。
  せっかくの薬草を食べられたりしたらまたお咎めを
  くらうじゃないか。」
 「なんとか止めてくださいー」
 「わかったわよ、まったく・・・いくらあたしでもウリ坊ぐらいは・・・
  つって何ぃ。この山みたいな図体の猪は」
 「新しく生まれたイノブタとかって掛け合わせだそうです。
  ちょっと大きいけどまだ子供で・・」
イノブタにプレスされた小女子にはその声は届かなかった・・・

[No.131]スプートニクショック 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/10/04(Tue)-13:18
10月4日はスプートニクショックの日。
あれから48年の歳月が流れました。
スプートニク1号の飛行の12年後にはヒトは月に到達し、当時の予想では、
今頃は民間人が月に行け、人類は火星を目指している予定でしたね。
・・・ま、こんなもんです(笑)
月や火星に行くよりも、地球の周りに衛星撒き散らす方が
実用的ってやつなんでしょう。

スプートニクと言いますと、スプートニク2号の栄光なき宇宙飛行士「クドリャフカ」
片道切符で宇宙の旅に出された悲劇のライカ犬。
最近、この「スプートニク2号」について新たな事実が公表された様子です。
曰く、「クドリャフカが元気だったのは数時間」
スプートニクショックで気をよくしたソ連は、
次の打ち上げを10月革命40周年記念日である11月7日にあわせようとします。
そして文字通りの突貫工事で組み立てられたスプートニク2号。
実は打ち上げ直後に軌道船を覆っていた耐熱シートの一部が剥がれるという
アクシデントが発生していたそうです。
衛星軌道に乗ったときに、クドリャフカの居る与圧室の気温はすでに摂氏40度。
1周約100分の周回軌道で、
昼の部分では灼熱の太陽にさらされ、夜の部分では酷寒の宇宙空間にさらされ、
気密室の中は文字通り地獄のような状況が予想されました。

結局、数時間後にはクドリャフカは意識を失ったようです。
これに対して、当初言われていた、
一週間もの孤独な旅の末に窒息死するよりはマシではなかったか
というようなふざけた意見も見られましたが、
こういう手合いはスマキにして、サウナに半日ほどころがしておかないと
クドリャフカの苦しみは理解できないでしょう。

スプートニクショックから半年後の1958年4月12日、
ソ連は世界初の有人宇宙船ヴォストーク1号で有人宇宙飛行を成功させます。
熱狂覚めやらぬその2日後。栄光なき宇宙飛行士を乗せた哀しい棺は、
長い旅を終えて、カリブ海上空で大気圏に突入して光になりました。

命が旅立つとき、持っていけるものは唯一「想い出」だけです。
哀しい荷物を持って旅立つことは辛いものです。ましてそれがたった一度の旅なら。

愛するシッポ達にはいい荷物を持たせて送り出したいなと思ったちすでした。

[No.130]壁には便座ネ 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/09/29(Thu)-20:37
その夜、ちすはひたすら酔っていました。
いわゆる泥酔というやつです。
 「よく、泥酔というがいったい泥というのはどのように酔うと言うのだ、
  いや、酔ったヒトが泥状に変化しているとでも言うのだろうか。
  ヒトが飲酒行為でそうなるとしたらそれは恐ろしい事である。宇宙生物ゴケミドロなのか。
  ををっ、もしかしたらゴケミドロというのは漢字では「苔深泥」と書くとか・・・
  それなら泥の一種とも言えなくはないな」
 「まてまて、いくらアルコールと言えども、
  ヒトの肉体を泥状にする機能は持ち合わせてはいない。
  これはアルコールというより硝酸や硫酸を飲んだ場合に用いるべき言葉なのではないか」
などと考えながら帰宅し、
ベッドの横に落ちてすやすやと爆睡する家族を起こさないように
衣服を着替えるのももどかしくトイレに立てこもり、洋式便器を抱え込みました。

いえ、なにもちすが「便器が変わると眠れない」などという特殊な方々の仲間である
というわけではありません。
寝室に便器があるというのは便利であるとは思いますが、やはりまっとうな社会生活を
おくろうとするには躊躇すべきレイアウトでしょう。
また、そのような家屋を望んだとしても、通常の建築士は図面を引かないと思います。
ちすが便器を抱え込んだ目的は「反芻(はんすう)」です。
過度の飲酒により、ちすは「♪酒をのんで 胃からもどし ハンスー ハンスーッ♪」
状態になっていたのです。
 「うーみゅ、ヒトは過度の飲酒によって泥と化する前に反芻動物になってしまうのか、
  どっちかというと泥酔の前に牛酔と言う過程を設定すべきなのではないか。
  問題は牛が飲酒するかと言う事で・・・いやいや何を言う。松阪牛はビールを飲むぞ」

このまま頓死しても保存性はバッチリという、てっぺんまでアルコールに浸かった
脳髄で思考をめぐらし、反芻に付随する不快感と戦うちすでしたが、
ふと、顔面に対し、なにか噴射されていることに気がつきました。
いや、噴射についてはもっと早くから開始されていた様子なのですが、
アルコールにぺっとりと浸かった脳髄が、
その事実を感知するのに時間がかかったと言うだけの事です。

 「な、なんだこれは?」
はい、皆様はご理解されていると思いますが、ちすは洋式便器を抱え込んだ際に
何かのはずみで「洗浄」のボタンを入力していたようです。
その上、顔面を便座に押し付けている形になっているため、着座センサーも誤動作し、
擬音装置つきTOTO社製洗浄便座<音姫>は、ちすの顔に向かってひたすら
温水を噴射しつづけていたのです。
しかし、松坂牛と化してしまっていたちすの脳髄がその環境を認識するには
時間がかかりました。
 
 「うむ、これは水流ではないか。何故水流が私の顔面に噴射されているのだ」
 「いや、そもそもここは何処であるか?確か私は飲酒して帰宅したはずだが」
 「そうか!。ここはトイレである。そうだ私は松阪牛となって反芻をしていたのだ」
のんびりと考えているあいだも噴射される水流は顔面を濡らしつづけています。
 「いかん、顔を便器からはずさなければ。このままでは便器に水が一杯になってしまう。
  そうすると溺死である。
  便器で溺死というのは世間へ明るい話題を提供することにはなると思うが
  家族にとって恥である。そんなことではマトモな葬儀も期待できない」
 「しかしだ、私が今便座から顔を外せばこの水流を阻止するものはなくなってしまう。
  壁を失った水流は虚空に放物線を描き、トイレの壁に激突し、床に伝わり大惨事に
  なってしまうのではないだろうか」

アホですな。「水を止める」という
基本的な判断行為がアルコール漬になった脳髄からは出てこなかったのです。
第一に顔を便座から外せは着座センサーが働いて速やかに水流の噴出は停止します。
 「うむ、困った・・・問題は着座してもいないのに何故洗浄便座が作動したかである。
  排泄行為という本来の目的ではなく反芻行為を行おうとした事に対する抗議行動か?
  いやいや、出口は違うとは言え反芻行為も排泄の一種であるぞ。
  なんという懐の狭い洗浄便座ではないか」
と、便器に悪態をついてもしかたがなく、とにかくこの水流をどうにかしなくては
ならないという事だけがちすの脳裡を渦巻いていました。
 「ををっ、そうである。ここはとりあえず洗浄便座として正しい使用方法で使うことで
  次の対処を模索しよう。本来の使い方をすれば便器の反乱も治まるかもしれない」
たとえ後々に洗浄便座が発達し、電子頭脳制御されるような機種が登場したとしても
便器の反乱が起ることは決して無いと思われます・・・

しかし、そのときのちすのアルコールに浸かった脳髄には
 「私は便座に座らなければならない」
という言葉しか浮かびませんでした。
そして、顔面を便座にあて、噴出する水流を受け止めながらシャチホコのように反り返り。
両手を腰にまわしてズボンを下ろそうという、
万が一その画像が流出したひにゃあ世間様に顔向けが出来ないような格好をした瞬間。
一筋の光がちすの脳髄をつらぬきました。

 「嗚呼!そうだっ!!。スイッチを切ればいいのではないか!!!」
なんと素晴らしい事でしょう。こんな場所で天からの啓示を受けることになるとは。
なべて世にことはなし。カミは壁にしろしめておられました。
そのときに顔面で水流の放出を阻止するという使命がなければ、
ちすはアルキメデスのように右手を高くつきあげて、
「エウレカ、エウレカ」(わかったぁ)と叫びながら
廊下をかけめぐった事でしょう。

左手を洗浄便座にのばし、「切」と思われるボタンを押したとたん。
トイレは静寂に包まれました。
長い戦いは、今終わったのです。

ちすはひざまづき顔をあげ、右手を高くつきあげました。
もちろん、濡れた顔を拭くタオルを取るために・・・

[No.129]4回目の「審判」 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/09/28(Wed)-21:29
昼下がりの下北沢の本多劇場は二時間半の間ソヴィエト第2軍事法廷になりました。
バリー・コリンズ作、加藤健一サン演ずる一人芝居「審判」

第二次世界大戦末期、修道院の地下室に捕虜として閉じ込められた
ロシアの七人の将校が救出されるまでの60日間。
裸で、食べるものも飲むものもない極限状態の中、
彼らが選択した事はカニバリズム・・・「人肉食」
60日目にやってきた援軍が目にしたのは、2人の生存者と5人の残骸。

そして、これは実話です。
実際には2人の生存者は狂気と見なされ処刑されました。

このお芝居は。処刑が行われずに法廷で審問が行われたという
設定の中ですすんでゆきます。
ヒトが極限状態に追いこまれた場合、正常な神経が持てるのか、
そして、追い込まれた人間を裁く権利は誰にあるのか。
追い込んだものは戦争か、ヒトのエゴか、積み重なった偶然か。

有罪ならば処刑、無罪ならば戦場への復帰。
主人公は「沈黙」することは拒否します。
沈黙は決して許されない事だと。

「私については、あなた方の審判にまかせます。あなた方の分類によって、
 願わくば、私が正気であることを。
 いや狂気と見なされるかもしれない。あなた方は私にご立腹だ。
 わたしの理性のあり方が大雑把に言えばあなた方に似ているから・・・。
 では、このわたしをどうされますか?
 わたしはあなた方の審判を待っています」

物語は終わった。

[No.128]枕詞 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/08/30(Tue)-16:11
枕詞

以下のもののうち、実在する(した)ものはどれでしょう?

 ・反戦カウンセリング ・反戦教師 ・反戦教会 ・反戦クリスマス ・反戦十字軍
 ・反戦学生同盟 ・反戦広告 ・反戦警察 ・反戦詩集 ・反戦市民運動 ・反戦議員
 ・反戦ステッカー ・反戦ストライキ ・反戦スナック ・反戦青年委員会 ・反戦列車
 ・反戦セロハン ・反戦テレビ、ラジオ ・反戦の声 ・反戦のすすめ ・反戦万国博
 ・反戦うちわ ・反戦シャツ ・反戦のれん ・反戦たすき ・反戦饅頭 ・反戦のぼり
 ・反戦手拭い ・反戦石鹸 ・反戦下着 ・反戦人形 ・反戦日本酒 ・反戦扇子
 ・反戦部隊 ・反戦バッグ ・反戦バッジ ・反戦ビラ ・反戦マラソン ・反戦演奏会
 ・反戦歌謡 ・反戦法要 ・反戦酒場 ・反戦落語 ・反戦漫才 ・反戦芸者 ・反戦音頭
 ・反戦童話 ・反戦道場 ・反戦貧乏 ・反戦大賞 ・反戦寄席 ・反戦祭り ・反戦集会

全部実在します・・・(笑)

この「反戦」を「軍国」や「戦時」に置き換えてみます・・・
やはり全部実在しました・・・(爆)

[No.127]敵は宰相 投稿者:ちすもん 投稿日:2005/08/04(Thu)-08:34
敗戦から干支一回りって事で、2005年の夏はやたらに戦時ネタが
マスコミに流れています。敗戦を実感としてご存知の方がすでに国民の
20%を割り込んでいる現状、マスコミにしたら「最後の一儲け」って
ところなんでしょうか(笑)
で、この時期いつも話題になるのが「靖国社参拝」のお話。
今年も小泉宰相がやり玉にあげられていましたネ。
いや、ここでつまらない正義論を展開するつもりはありません。
「宰相が靖国社参拝をしたがるのは、政治や思想の問題ではなく、
 実は祟りが恐いんじゃあないのか?」
って疑問なのです。

そう、靖国社に巣食う御霊は志半ばにて命を無くした方々ばかり、
それもみんながみんな戦いで死んだわけじゃあない。
お国のためなーんて言われて、
野垂れ死にのような死に方じゃ遺恨バキバキです。
それともっと始末の悪いのが「A級戦犯」とされている方々。
はい、歴史を振り返ってください。
わが国では理不尽な死を遂げた権力者は、
怨霊となって後の世の中を祟るという「お約束」があります。
これはもう日本人に生まれた限り義務ってやつです
 <(いや、義務にしては・・・)
聖徳太子、菅原道真、崇徳上皇、平将門、佐倉惣五郎、加藤保憲(笑)
みーんな根性入れて祟ってくださったじゃありませんか。
そのために
時の為政者は祟りが恐くって彼らを祀って慰撫してきたわけです。
つまり靖国社は敗戦後の為政者達が、
適当な作戦で無碍に殺しちまった沢山の国民や、
敗戦責任を押し付けたA級戦犯の御霊が怨霊に変わって
世に災いをなさぬよう、ねんごろに祀っている場所なのです。
作った連中にしたってA級戦犯と無罪方面の紙一重を渡ったきたんだから、
恨み食らっても当然って負い目もあったんでしょう。

さて、怨霊達にしてみれば祟るべきはその時代時代の為政者。
個人にゃあ何の恨みもない・・っーか、知らないんだもんネ(笑)
だもんで「敵は宰相」って事ですネ。
となると宰相も大変。普通に世の中泳いでいたら、
なんの祟りを受けることもないのに
なまじっか宰相なんぞになったもんだから
自分が生まれる前に亡くなった方々の祟りがドカンと大当たり。
そんな、身に覚えがある祟りだけでも大変なのに、
身に覚えのない分まできたら身体がもちませーんっ!
てなワケでいそいそと靖国社に行っちゃう。

国にしたって誰かが詫びをいれに行ってくれないと、行き場のない祟りが
どこに八つ当たりするのかわかんない。
かくして「靖国社参拝は宰相として」やっていただかないと、
世の中思いっきり怨霊が祟ってくるってワケでして・・・

うーゅ・・・お隣の国には祟りって風習はないのかなぁ・・・